マイセン―Meissen―
約300年に渡る長い歴史のなかで、マイセンはヨーロッパ初の磁器焼成を成功させたプライドを維持しつづけています。そこでは高度な技術を要する手仕事が昔と変わらずに行われています。裏に描かれているマイセンのブランドマークである交差した青い2つの剣の模様は、シュヴェルトラーとよばれる窯印を描くことを専門とする絵付師によって一点一点、手描きされています。このマークは、歳月とともに若干の変化が見られます。こうしたマイセンの窯印の変遷は、作品の制作年代決定の手段の一つとなっています。
マイセンの始まりは、ヨーロッパの磁器の始まりでもあります。18世紀以前、中国や日本の透けるように白い素地、艶やかでなめらかな質感、指ではじくと綺麗な音のする磁器は、白い金と呼ばれ、時には金と同等の価値を持つほどで、ヨーロッパの陶器に関わる人たちの最大の目標であり、夢でもありました。マイセンの製造の成功には、熱狂的磁器コレクター、ザクセン王アウグスト2世と不幸な錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベットガーの存在が欠かせません。白い磁器を生みだすために、ベットガーは幽閉され、磁器の製造だけを研究させられたことから、彼らは1709年にカオリンを原料とする白い磁器の焼成に成功しました。
アウグスト2世が次に求めたのは、柿右衛門など伊万里の美しい絵付けの技術でした。1720年には、ウィーンから招かれた絵付師・ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(1696 - 1775)によってロココ調の美しい絵付けがほどこされるようになります。またその後、伊万里などの東洋磁器を模したようなデザインも多く作られ、現在でも人気の高いシリーズ、ブルーオニオンもこの頃に誕生しています。
アウグスト2世の情熱によって誕生したマイセンは、第二次世界大戦、東西ドイツの統合など大きな歴史の波に飲まれながらも、現在もその高い品質を維持し続け、比類なき一流芸術品を提供し続けています。
マイセンの始まりは、ヨーロッパの磁器の始まりでもあります。18世紀以前、中国や日本の透けるように白い素地、艶やかでなめらかな質感、指ではじくと綺麗な音のする磁器は、白い金と呼ばれ、時には金と同等の価値を持つほどで、ヨーロッパの陶器に関わる人たちの最大の目標であり、夢でもありました。マイセンの製造の成功には、熱狂的磁器コレクター、ザクセン王アウグスト2世と不幸な錬金術師ヨハン・フリードリヒ・ベットガーの存在が欠かせません。白い磁器を生みだすために、ベットガーは幽閉され、磁器の製造だけを研究させられたことから、彼らは1709年にカオリンを原料とする白い磁器の焼成に成功しました。
アウグスト2世が次に求めたのは、柿右衛門など伊万里の美しい絵付けの技術でした。1720年には、ウィーンから招かれた絵付師・ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(1696 - 1775)によってロココ調の美しい絵付けがほどこされるようになります。またその後、伊万里などの東洋磁器を模したようなデザインも多く作られ、現在でも人気の高いシリーズ、ブルーオニオンもこの頃に誕生しています。
アウグスト2世の情熱によって誕生したマイセンは、第二次世界大戦、東西ドイツの統合など大きな歴史の波に飲まれながらも、現在もその高い品質を維持し続け、比類なき一流芸術品を提供し続けています。
▼取扱い商品の一例
マイセン 波の戯れ
コーヒーカップ&ソーサーマイセン 波の戯れ
プレート 32.5cmマイセン ブルーオニオン
コーヒーカップ&ソーサーマイセン ブルーオニオン
プレート 20cmマイセン ピンクローズ
コーヒーカップ&ソーサーマイセン 3ツ花
リーフトレイ